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舞台『個室』

鵜飼主水 / 栗生みな / 小栗諒 / 持田千妃来
作・演出: 萩原成哉

※感想が不親切、というかメモだから意味不明
※ネタばれ有り
※作品に抱いた違和感を考察する事が多いので、結果的に批判的な部分も有り

***
目が覚めると便器だけがあるやけに広い個室にいた。

観たのは「04月14日(日) 17:00 自分/鵜飼・オレ/小栗・ボク/栗生」の回。

この人は博打家なのかもしれないと帰り道考えて思っている。
脚本、演出の萩原さん、すっごい台本事細かにセリフ以外のことも書いているので、すごく几帳面の生真面目な方なのかなと思っているのですが、もしかして、その緻密さを全部かけて1つのシーンなのか物事にぶつける博打家なのか?とも思ったりする(勝手な予想)
ここまで普通の会話劇で感想書きづらい舞台も珍しいくらいに何から書こうか雲を掴むよう。
内容は確かに最初は謎が多かったけど、最終的には全てがきちんと並んでいた。
でも、感情、感覚が振り切れない。
それは私個人の感受性の乏しさにも一因はあるんだと思う。周りがめちゃくちゃ泣いているから。
それはそれで良い。でも、そういう時、私は不快さと疲労感を伴うはずなんだけど、それがない。この感覚が謎。
これは捨てだな。そういう感覚になれない。だから、一度は萩原さんの舞台を観たのにまた観に来て、またわからない。迷路に迷い込んだ気分。
でも、舞台後のカーテンコールの挨拶で真面目な真っ当な挨拶の最後に一言ユーモアを入れて来た時に、他の舞台の前説でもそんな話し方が気になっていた。もしかして、舞台の構成もそういう作りなのか?なら、確かに最後に自分死ぬシーンがあれだけきれいだと思ったのにも頷ける気がする。
コメディでも、シリアス、悲劇、サスペンスでもなく、なぜか明るくきれい。

構成が門のようだとも思う。パズルと表現しても別に良い気もするけど、なんだかずれる。特にこの作品は僕と俺の対比構造が明確で、同じようにいじめられた仲間になりえた友達の死と、もう一方で家族の喪失という2軸の悲劇があるから。
それぞれが何の脈絡もなくそれぞれが築かれ始めて、無関係ではないはずなんだけど、無関係のまま構築され続けて、最後に繋がって扉が開くみたいな。そんな感覚に近い。

便器という日常生活にありながら、ここにあることが異様なものと「いじめ」というそのワードだけだと陳腐で、でも、取り扱い注意なワードが前提もなく雑に投げ出される、それがとても違和感。
ただ、それを演出なのか演者さんなのか、とりあえず、「自分」の反応がその違和感を調和している気がする。
便器に対しての通常の反応と、でも、異様な場所にあるからこその動揺、それをコミカルに処理して、いじめに対してもすぐに自分事にならず、どこか傍観者として見ているような感情の伴わない教科書を読むような声。
それらが違和感の緩衝材になっている気がした。
だけど、激情の圧も、感傷もあって。
便器が暖かいというのが、いつの間にか違和感ではなく、通常、日常に浸食し始める。

なぜ死ぬ時に皆笑っていたのか。
生きろ、生きるよの応酬も、死ね、死ぬよの応酬も最後の方は言葉の切れ目が曖昧になって、音の残響ばかりが重なり合って、それが何だか音を立ててアドレナリンが放出しているような感覚に近い。
ただただ果てしない徒労感とその後にやってくる解放感に笑いだしたくなる感覚は何だか、言葉として説明するのは難しいけれど、言葉にされた訳じゃないけれど、やっぱり共感なんだろうと思う。
生と死でベクトルが違うだけで。
でも、それを言葉でも言い表した時は、別に言葉以外の表現に逃げいているんじゃないんだなと思った。
無敵になれた気がした、無敵だと思って最弱の選択をした。
ボクは逃げているを正しく認識して、オレは強がって苦しめた奴にざまあみろと思っていてるけれど……
でも、ボクがなんだかんだいつもオレの前に立っていたような気がする。
オレは性質上表に感情を出さない。押し込めて、ボクがただ感情的に悲しみと苦しみを慈愛?自愛?を持って自分に訴えかける時もあまり感情的にはならない。でも、ボクを殺させたこと、自分が死ぬことを選んだ事には、彼自身が刃のよう。

ただ、私だけなのかもしれないけれど、家族の喪失よりも友人のいじめによる喪失の方が私には比重が重く感じられた。だから、それぞれが語りを担っていたボクー友人の死、オレー家族の喪失、も引きずられて、ボクの比重が高まってしまったようにも感じる。
友人の背中を追って、彼が飛び降りるまでの光景はとても鮮明なのに、姉が父を殺したところは視界の焦点があわなくてぼんやりしている。
少々バランスの悪く傾いている門。
でも、自分の死への扉はちゃんと開いたから、私の中ではどこかの場面でその比重の偏りは修正されたのかもしれない。
それとも二軸が繋がって1つになったから対比構造がなくなったんだろうか。
笑いの衝動は自己愛の衝動?きれいで、何かが体に沈み込んだ感覚がするのに、あれを説明する言葉を持たない。でも、最後のあの場面では死も生も同じものだった。

生きること、死ぬこと、どちらも絶望でどちらも希望で。
寄り添うのも抱きしめるのも、殺すのも、同じ行為に見える。

でも、死にたくないという。
1人ではなく、あたたかさがあれば、死なずに済んだ?

トイレはとてもプライベートな場所で、最初は単純にそのまま排泄場所としてコミカルに処理したけど、作品の根幹としてもとてもプライベートな空間(自分の精神世界)という解釈はあながち間違っていないのかもしれない。

全体的にバタバタせずに停止の動き(?)が好きだった。
少し薄暗い照明の時はばらばらの3個体の境界線が溶けあって1つになっているような錯覚を覚えて、でも、それが何だか心地よかった。

前に舞台を観た役者さんもいて、確認しに来たはずなのに、確たる結果が出ずに気になる一方。沼にはまる前兆に似ている気がしてちょっと恐い(苦笑)
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Author:幸橋
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※ネタばれ有り
※作品に抱いた違和感を考察する事が多いので、結果的に批判的な感想が多くなる傾向があります

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