ククヌシの「選べ」の一言が美しいなあと思う。
ここで流れている曲は、紫苑と心が近づいたシーンで流れる曲と同じなんだろうか(こういうのわからない奴)
だとしたら、このシーンはそういうシーンだよという意味で何度も使ってるのかな?
最初から幼子に容赦ないのがおにぎりワゴンさんらしいというか(笑)「生きろ」という選択肢、というか命令?を与えた母の記憶が、第一に優先したいその人の記憶が、その言葉の通りに生きることを選んだことでなくなる。
記憶がないから、どんなシンプルなまやかしも判断できない。ククヌシが嘘をついていると言われても紫苑にはわからない。
でも、疑ったククヌシが書き残した母の思いが紫苑を生かす。
それにしても紫苑は文字読めないのにどうして書いてある中身わかるんだ?書いてあることを疑うよりも、そういう内容が書かれていることから疑うべきでは……まあ、どっちにしても同じか。シズに見せた時は実は紫苑の思っていた内容と違うことが書いてあると言われるんじゃないかとちょっとドキドキしたけど、そこは無駄に引っ張らなかった。
神と気まぐれに助けた子という関係が、やっと母子になったのに、その途端に引き裂かれる。
「生きろ」この言葉が「母」という存在になった証拠。家族は生かし合うから。愛情からの祝福だったはずの「生きろ」が、紫苑には呪いになるんだけどさ。
ちょっと呑気な人の良さそうな青年だったのに、神木が枯れていくのを背景に暗い目が見えるよう、憎しみが深い。それなのにきれいだな、なんて場違いなことを思う。美しい青年だったんだな、第二の母のククヌシに似て。
「どこにでもある」なんてほのぼのした話を示唆しながら、おにぎりワゴンさんだからそんなはずないよなと思ったけど、別に嘘じゃない。どこにでもある人間が醜く愚かだという話。それが皮肉。
スポンサーサイト
コメントの投稿