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エレベヱトル遁走曲

team.鴨福 第7回公演

脚本:和ヶ原 聡司&遠藤 遥風
演出:笠井 健夫
イラスト:野々愛

出演:
伊藤かな恵
堂坂晃三
成家義哉
丸山ゆう
星野健一
粕谷大介
大出美結
福宮あやの
藤原シンユウ
伊藤辰哉(ピアノ)


※感想が不親切、というかメモだから意味不明
※ネタばれ有り
※作品に抱いた違和感を考察する事が多いので、結果的に批判的な部分も有り

***
音声作品をよく聴く割には朗読はあまり得意ではない。と、言っても音声作品でも朗読を謳っているものはあまり聞かないからどちらにしろ得意ではないのかもしれない。
ここで言う朗読は、過去の名作を読むみたいな、つまり、地の文を読むものだから、今回の作品には実は厳密には私の中の「朗読」というものにあてはまらないのかもしれない。
この作品で何が私の心に残ったかといえば、「会話」であることだったから。
演劇でも朗読でも会話なんて当然だろう?と普通はなるのかもしれないけれど、なんと言えば良いのかシーンを構成するための言葉の羅列……というのが私のイメージとしては近い。会話じゃなくて、シーンのピース。ここはどういうところで、私は何者で相手は誰々さんで、そして、カギ括弧のセリフが入って、どれもシーンを構成するもピース。
だから、朗読で描かれる物語の世界はいつもどうしてか壁を挟んだ向こう側にいることが多くて、よほどそのキャラクターや物語の世界自体、私が言っている「コンテンツ」が強くないとこちらまでその熱は届かない。そして、熱を強めようとすれば、それは会話というより叫び、怒鳴り合いに近い。通常の演劇よりも朗読の方が実は疲れるのはこのせいもあるかもしれない。
それなのにこの物語はふと気づいたらそこに世界があった。そこに人がいて話している。何を当然のことをと言われそうだけど、朗読がそういうものではないと身構えていたのは先に書いた通り。
今、パッと思いつく理由は2つ。1つはあらすじから私はもっとタイムトリップものを全面に押し出した、例として適当かわからないけど、時をかける少女的な、すごいエンタメ系のアニメや映画やドラマ的なテーマありきのものを持ち出されるのかと思っていた。もしくは日登美の挫折。そういうテーマ性をバーンと出してくるのかと思ったんだけど、ふっと吐息のような自然さでまず人がいた。
2つ目は最初に書いたように会話。地の文を読むような説明セリフが一切ない。それはたぶん説明をスクリーンのイラストや写真もあったかな?に肩代わりさせていたからだと思う。
ただ、そういう風にスクリーンで映像を出しながら朗読を進める手法は他でも見たことがあった。それなのに、どうして今回だけ会話だと思えたのか。言葉を選ばずに言えば、普通の会話を聞いているようだった。普通の言葉が普通のテンポで流れていく。
ここまで普通を連呼すると普通ってなんだよ(苦笑)と思うけど、もちろん物語である以上創作というか作り物めいた部分はあるんだけど、でも、それでも創作的なテンポではなくて話すテンポだと思えた。だから、遅くて調子が狂うとか、早くて息切れをするということなく、体力の乏しい私も聴いていられた。朗読では、特に出だしではいつも必須だと思っていた物語が動かないことへの「つまらなさ」を感じなかった。
声ははっきり明確だ。だから、創作性を感じる。通常の会話ではない。演劇よりも声は明確(それは演じているのが声優さんだからね)でも、アニメ感もそこまでない。最近アニメを見てない私が言っても信憑性に欠けるけど。これもまたあまり見ないからなんとも言えないけど、吹き替えをしている人が多い?もしかして、吹き替え独特の雰囲気とテンポだったりするんだろうか。確かに物語自体の雰囲気も一番近いのはテレビドラマだなと思ったから。アニメ以上に日本語吹き替えの洋画なんて見ないからなんとも言えないけど(苦笑)あとは脚本が演者と演出を信頼しているなと思う。演出というのはイラスト含めて総合的な表現への信頼。それができずに蛇足の説明を書いてノイズになってる作品をよく見かける。仕方ないかと思ってきた。わかりやすさが必要だ。それは観客への信頼でもあるのかもしれない。シンプルにわかりやすくしなくても理解してくれるはずだと。朝日さすアトリエで描きかけの日登美の美しい油絵に出会った時の煌めいた一時にそう思う。

ここでやっと観に行った理由。
初めての団体さんで、脚本家の方も知らない。コンテンツに信頼できか全くわからない状態で、ドラマCDで演技を聞いたことがあってちょうど直近で気になった方が出演していたからが理由。個人名を挙げれば、成家さんと粕谷さんと藤原さんですが。3人も気になる演者さんがいてちょうどその日に近くまで行く用事があるなら、まあ、いいかってそのくらい。さほど期待なんてしてなかった。ただ、過去の上演写真を見て、朗読なの割に、そして、出演者が特別多くもないのに、お客さんが多いなと思った。だから、もしかして期待できるんじゃ?と思わないでもなかった。

そうだ、ピアノ。生演奏も別に昨今珍しいわけでもない。小さな公演でも意外にやってるから、別にそれがあるからどうこうとも思ってなかった。
なんだか違うな、と思ったのは、逆説的だけど、ピアノの生演奏の存在を忘れていた時だった。はっと我に返って、そうだ、ピアノ生演奏だったんだと思った時があった。物語に入り込んでいたというのもあるかもしれないけど、ピアノが自然に寄り添っているのかなと、これまで観た生演奏を押している舞台は、生演奏をやたらと目立たせたがった。少なくとも目立たせるシーンを作っていた、物語内とは別に。
あとからテーマとなる曲以外はその公演によって変わると聞いて、それでかと納得した。生演奏の良さってこういうものだろうと思う。もちろん主人公がピアノを弾くから物語にピアノを組み込みやすかったというのもあると思うけど、なんかそういう取ってつけた感じがしないのは、既に通常のBGMで生演奏の役割を果たしているからなのかなとも思う。
もちろん神流が歌う時に演奏者の方を見て合わせる眼差しが優しくて、その場に日登美がいるみたいだなあと思ったりした効果もあったけど。
神流もガチでちゃんと歌うとは思わなかったなあ。主催さんっぽいから、強みを出せる脚本にしてもらうことも可能だろうけど、それでも素敵な歌だったなと思う。本当に神流がそこで歌っているみたいだった。
日登美の母親役の方の涙にもらい泣きしてるところとか、こちらまで涙が感染する(笑)
私、名前覚えられないけど、伊藤さんは私でも知っているようなアニメ作品に出る人なんですね。でも、アニメの可愛い声とかではなくて、本当に等身大で挫折に折れて、でも、実は中身はひいおばあさん譲り?の勝ち気な部分がある女の子で、そんな彼女の人間味がぽろっと出た瞬間がかわいいなと思う。強烈な可愛いではなくて、ああ、可愛いなあとしみじみ思うような可愛さ。
しみじみ思うっていう役柄が多いなあ、しみじみ純粋で脆い人だなと浅間に対して思うし、しみじみ優しくて良いやつだなと和昭に思う。
浅間は筆を折る絶望も日登美への思いも押し殺して慎み深く、でも、抑えきれずに言葉の端っこからこぼれていく感じが好きだなあ。和昭は……粕谷さんはまだ可愛らしい役柄しか知らなかったんだよなあ、だから、好きな子には等身大に不器用な感じとか芸事への熱とか芯の強さとか才能や努力を純粋に愛して尊敬するところとか変な輪郭の尖り方ではなくて素朴(というほど地味でもないんだけど)で良いなと思う。
この3人いわゆる三角関係なんだけど、どうしてかな、恋愛という感じがしないんだよなあ、挫折から再度歩き出すというヒューマンドラマということもなく、ただ、ピアノに挫折した人がいて、絵画に挫折した人がいて、彼らを思う人たちがいて、そういう人たちがいたんですってそんな感じ。テーマがバーンじゃないんですよね。負荷のかからない消化しやすい胃に優しい話です(笑)
二人の広瀬川の上司である高尾と穂高は最初は真逆で、穂高はとても優しく人が良さそうで、最後まで笑顔でうんうんと日登美や和昭の無鉄砲を見守っている感じだから、まあ、良い人なんだろうけど、高尾も実はそこまで嫌な奴だなとは思えなくて、もちろんエレベーターをすぐに点検しなくてお客様に何かあったらどうするんだという日登美の指摘は正しい、そうすべきだし、高尾は間違っている。でも、このご時世でデパートは衰退していて、予算を削られ、上からチクチク言われ、その鬱憤が正社員じゃない日登美に向けられるのは、わからないでもないなと思う(良いとは言ってない)ひいおばあさんにガツンとやられて更生するんだから、更生というか調教?(笑)まあ、救えないという訳ではないなあと少なくともちょっと微笑ましく見れる相手ではある。同僚の児玉のあのはっきりした物言いも別に強い発言をするでも、変に優しいでもなくて、丁度いい距離感だなと思う。入り込み過ぎず、放っておくこともない。だから、日登美が入れ替わったり、悩んだりしていても、ちょうどいい話し相手になったんだろうと思う。
高尾と児玉はちょっと表面的になりそうだなあと心配したけど、最終的にはそれぞれの味がある登場人物になったと思う。脚本の良さなのか演者の良さなのか。児玉は後者のような気もするけれど。
大正時代のチンピラ?がやたらかっこよくないか(笑)と思ったり。
あ、穂高の人の良さって、こう現在と比べた大正の良さの象徴でもあるような気がする。そりゃあ、大正は大正で嫌なこともあるだろうし、女性だってそこまで社会進出してないだろうけど、昨今のような神経削られることもないのかもしれない。だから、日登美が大正で暮らしたいと本気で思ったのもわからないではない。
でも、ピアノからも自分や家族からも逃げて、この時代からも逃げて、それで、大正も逃げたくなったらどうするんだとい和昭が言うのはそのとおりで。逃げれば、また、逃げた先でも逃げることになる。本当に逃げたいことなら良い。でも、神流が言ったように、日登美はピアノが好きだから、きっとどこまでも追いかけてくる。

まあ、色々書いたものの、朗読のなんたるかを私が知らないだけなのかもしれないけど、少なくとも朗読とはこんなものという概念?定義?は変わったなと思う。
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Author:幸橋
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ボイスドラマ・ドラマCD作品の感想メイン(時々舞台など)

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※ネタばれ有り
※作品に抱いた違和感を考察する事が多いので、結果的に批判的な感想が多くなる傾向があります

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