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たんすい

劇団五〇鬼

【作・演出】森脇顯

【出演】
伊礼妙子
稲元洋平
森脇アキラ
寺島享

川島愼ノ介(top-A)
松崎ささら
山崎永之


※感想が不親切、というかメモだから意味不明
※ネタばれ有り
※作品に抱いた違和感を考察する事が多いので、結果的に批判的な部分も有り

***
その作品の中に入ろうとする時には自分と外界との間にある壁をどうにか処理しないといけない。
でも、今回、平日無理して疲れていたからなおさら難しいだろうなあと覚悟していったら、スルッと入れて、その最初はあら太が母の死に装束の話で泣きそうになったところだと思う。それまでは事務的な四十九日の会話が続いて、その何でもない淡々さも好きだったけど、その中に一滴の過去の引きずりが見えて、その時はそれがそこまで大きなものだとは思わなかったけど、あら太からすれば仏間にすら入れないくらい後悔?悲しみ?から生まれた一滴だった。前観た時は飄々とした役柄だったけれど、今回は人間味のある役なんだなと、出だしの不気味さに表れた妖怪?という非現実的な要素と現実がそこでちゃんとつながったというか。同じ空間に存在するというか。
箪笥の怪が見せる幻?とか、いろんな怪奇現象を当たり前に受け入れる会話とか、が自然に入り込んで来て、夢現を行き来している・・・というと少し語弊があって、空間や時間があっちゃこっちゃ行ってるけど、いずれもが、ここ、ある一点に存在しているみたいな不思議な感覚、ある一点、ある1つの流れに全てが内包されていて、途切れることがない。普通だったら照明やBGM、効果音で切り替えるだろうと思われることが一連の流れで入って来て、穏やかに追々ねと話していたかと思えば、母の傍にずっといられなかった後悔悲しみが兄弟を襲ったり、人間の感情もこの一点、この1つの流れで出し入れされる。
怪奇現象が当たり前で、それに対して畏怖や敬意がない生活の一部になっているのは、母親の教えによるものなんだろうか。
兄弟の中で不気味な超常現象が、トイレットペーパー切れたから買って来て並の日常会話になっているのが、なんだか、ほっこりとは違うんだけど、なんか身構えるこちらがあほらしくなるというか。
外から来たはつ男は彼自身の鈍感さもあると思うけど、この兄弟たちのこういう態度が彼に恐怖を感じさせなかったんじゃないかとも思う。うい子は彼の鈍感さに救われた面もあるだろうけど。ある程度常識人だから、人から奇異に見られることだという自覚はあったと思う。
うい子は常識人だと思う。少し口うるさいけれど、しっかりした人。でも、母を放っておいたという負い目がある、もっと早く駆け付けたかったという後悔がある、その弱さが良いなと思う。沖縄の民謡?舞踊?を歌う時の声が良い声で、見たら合唱団所属なんですね、なっとく。箪笥の怪にとり憑かれた時の独特の言い回しもまるで歌うような感じで聞いていて心地良かった。噺家のようですらあるのに、親を信じるというのがなんだか悲しく聞こえる。母の願い通りにこの箪笥を守っていかないといけない自分はそうしないといけないみたいな、そういう弱みにつけ入れられたのか。
しんもなあ、一番、うまく立ち回っているのかと思ったら、ここまで淡々と日常会話として進めるなら、泣きの場所はないと思ったんですよね。にい恵が悲しめ、泣けと言ってもあら太が泣かなかった時点でもうないって。なのに、最後であれはずるいんじゃないかなあ。それもストレートに悲しいとか後悔を吐露するんじゃなくて、長男であるあら太が羨ましい、長男で自分よりずっと母と長くいて、写真も多くて、自分よりも母に愛された兄が恨めしい。その言葉は母を求め恋しいという思いの裏返しであることは明白で。ストレートに母を求める言葉を吐かれるよりずっと刺さる。同じことを思った覚えがある。相手は母じゃなくて祖父だったけど。兄を溺愛して、別にそれを恨みに思ってなかったけど、兄の方が良いんだろみたいな気持ちがあった。自分も愛されていたとわかってはいるけど。ただ、悲しさをどういう思いに言い換えれば良いのかわからなかったんだと思う。
絶対に勝てない一緒に過ごした時間ではなくて、一番母に似ているという別の太い繋がりを示すあら太の言葉をにい恵が送る。でも、言われなくても本当は愛されていたことはわかってる。
にい恵はファンキーだよなあ(笑)はつ男は鈍感さ故にこの家族と一緒にいられるけど、にい恵は逆に霊的な現象に敏感でその分の耐性があるからこの家族と一緒にいられる。でも、ファンキーなだけではなくて、悲しみたい、ゲーム依存症のようなものも、もとは悲しみたいけど悲しめない、兄弟が泣かないからという、この家族の一員としての思いからだった。彼女には霊的なものが見える、だから、箪笥の怪のように私たちに見える存在ではないけど、兄弟を心配して部屋に来た存在がいるとわかる。
母がいた部屋から仏間につながる戸は長い夜のマラソンのあら太のゴールだったんだよな。自分が母を苦しませただけだと思ったら、本当は、死に装束を着ること、棺桶に入ることをもう少し待って欲しいという母の願いに沿うものだった。
何度も超えようとして、でも、超えられない彼を誰もが手を出さずに待っている。その背を押したのは、にい恵だけど、本当は母親だったのかもしれない。母が残したたんすいという言葉が彼を次に進める。
ハジメは良い感じに小者感というか小悪党感があって、でも、最後は改心?したのかなと思ったら、本当に最後に逆にこじらせたというか、たんすの中で目だけ出して、羨ましい羨ましいと言っているのが、人間の愚かさというか欲というか業というか、ぞぞっとした。
操られている訳でもなく、悪意でもなく、憧憬とすら言える感情。彼の家はどんなところかわからないけど、宝物をとってくるように言う母親がいるくらいだから、必ずしも幸福という訳ではない。ただ、家族だから同じ場所にいるだけの人々。
あら太たちの母親は子どもが離れていくのも許容した。彼らの生き方があるから。物理的にばらばらに見えるけど、惰性でいっしょにいる家族とは違う。いや、本当はよく振り返ればハジメの家にも彼ららしい良さはあるんだろうと思う。でも、隣の芝に目を奪われ過ぎてそんなところが人間だと思うのがおかしいやら恐ろしいやら。
今回は超常現象としての対象(箪笥の怪)が1つの存在として明確にそこにいるから、物語に登場する彼らには見えなくて不気味だろうけど、観てる方からすれば、不気味さはない。ハジメが探すのは何かという謎はあるけど、途中までは箪笥の怪は箪笥そのものだとも思っていたから、出所も確か。兄弟を昔から見て来た、ちょっと面倒くさい親戚のおじさんのような雰囲気。すごく素朴に身近にいてにくめない感じ。だから、うい子が乗っ取られた時も怪奇ホラーというよりもドタバタ喜劇みたいな様相。

いろいろ書いたけど、本来は共に存在しないものが押しつけがましくなく1つの流れに収束しているのが良いんだろうなと思う。

感動させよう、面白がらせよう、ここは笑うところだ、ここは泣くところだ、それをすぐに曲や光に任せるのは安直なのかもしれない。本来は何がなくとも人間がそれをして、それができるべきなんじゃないか。
そして、笑いと泣きは案外別々に存在するものではないのかもしれない。

がっかりするならそこまでと半ば投げやりに期待値上げて観に行ったけれど、それでも良かった。
小劇場でさえ派手?なここで泣けみたいなわかりやすい親切という名の(あえて口悪く言うなら)おせっかい演出に疲れた時に泣くも笑うご随意にという雰囲気にふっと気持ちが楽になる。
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幸橋

Author:幸橋
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ボイスドラマ・ドラマCD作品の感想メイン(時々舞台など)

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